教員免許を持っていません byコジ塾講師

~コジ塾講師のあれこれ~

塾講師に教員免許は必要か?』について、前回の記事で書きました。

結論を言うと、必要ないのですが、コジ塾講師が教員免許を取得しなかったワケとは別問題です。

今回はそれについて書きます。

大学時代、教えることが好きなのは自分でもわかっていたので、在学中に教員免許を取得するチャンスがあることは十分意識していました。

でも、どーしても踏み切れない理由があった。

それは「学校の教師になりたくない」ってこと。

そうだろーねー、見た目からして金髪だし( 現在のコジ塾講師の髪の色は金色です(〃▽〃) )、学校は向いてないでしょー?って思った方、大ハズレです!

講師は少なくとも高校までは、超まじめっ子でした、今でもまじめなほうですが(。^_^。)

学校で「誰も見ていなくてもトレイのスリッパをそろえましょう」と言われたら、どんなに急いでいても、当然誰も見ていなくても、きっちりそろえるタイプ(笑)

学級委員長になったこともしばしば。

そのまじめさが、勉強では大きな強みになったと思います。

学校の先生から言われた通りにすることが功を奏した部分は多々あります。

ただ、同時に納得のいかない校則に従う時のあの気持ちは・・・

『髪は肩にかかったら、結ぶこと』

『結ぶ時のゴムの色は黒か紺か茶の目立たない色でなければならない』

周りと同じようにしているのは苦ではなかったですが、「なんだかなー、これ必要なの?ルールにするほど大事なの?」って事柄がごまんとあって、それを必死に守っていた自分に疑問や疲労感があったのだと思います。

校則の内容によって、多少守らないことで先生に怒られても楽しそうにしている同級生もいましたが、私にはできなかった。こちらの方が正しいはず!と思いながらも、そんな同級生がうらやましい時期もあり、先生に叱られないことを常に気にしていた自分にどこかで嫌気がさしていたのかもしれませんね。

そんな中学時代、全校集会で、生徒の要望を話し合って学校側(先生)に提案するという機会があることを知りました。

「こんなふうにして、自分たちの要望を通すことができるようになってるんだぁ」と期待しながら、

『日焼け止めの使用を認めほしい』の議題の行方を見守っていました。

話し合いの最後に生活指導の先生が前に出てきて、

「えー、日焼け止めの使用についてですが、これはそもそも学校生活に関係のない不要品です。よって、認められません。まぁ、中学生というのはね、黒いもんですよ!(←それが青春って意味だったのか?)」

と、一掃して終了。

え?!あんなに話し合ってそれで終わり?Σ(゚д゚lll)

生徒の要望ほぼ却下。

ああ、これって形だけのやつなんだぁ(-。-;と失望して、次年度から本気で考えるのをやめてしまった記憶があります。

マフラー使用も、華美になっていく可能性がある、隣を通った大型トラックに巻き込まれると危険(←そんなことある?ε-(´∀`; ))との理由から禁止だったような…

そんなこんなで、私にとってはおかしな校則を、まじめさゆえに守っていく学生生活にジレンマやストレスを感じていました。

社会人になった今、あの時の経験が無駄だったとは思っていません。

ただ、それを発信していく側になるのはキツイ。

学校の先生は勉強を教えるだけが仕事じゃない。生活指導の部分にも信念がないときっと続かない。生徒に言うことが自分の気持ちと反していたら、自分自身が耐えられないだろう。

そう思って、学校の先生にはなるつもりがなかったので、教員免許を取る選択をしませんでした。

勉強が人生にとって大きな意味を持っているという考えは、学校の先生同様にコジ塾講師も持っています。

なので、勉強したい子に対して、勉強を教えることに集中できる塾講師がやっぱり自分には一番合っていると感じています。

塾講師にも、それなりの悩みやストレスはありますが、この仕事ができて幸せです。

最後に、講師は学校の教師になりたくなかったというお話でしたが、学校や先生がダメだと言っているのではありません。

勉強を扱う立場として、よく対立の立場で見られますが、『VS学校・・・じゃない』にも書きましたが、優劣をつけるのはナンセンスです。いや、生徒さんにとっては学校の方が優位&優先ですね(^-^; どちらも効果的に使って(指導をきちんと受けて)自分を高めていって欲しいなと思います。

以上、学生時代はまじめさゆえに校則を守るのに必死すぎてストレスで疲れる→その校則を発信する側になるのはツライ→学校の先生になることはないだろうから、教員免許は取らなくていいやと考えた。というお話でした。

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