小学生の国語クラスで教えていて、
経験として知ったことの1つが、
文章読解の問題を解いている生徒さんの「わからない」は、
ほとんどウソだという事実。
ウソと言っても、
本人は本当に「わからない」と感じているのですが、
実は“文章をちゃんと読んでいないだけ”のことが多いです。
大人(保護者の方)が「わからない」と聞くと、
一般的には相手(生徒さん)は文章をちゃんと読んで頭で考えたはずだと思い、
より詳しい説明をしようとして、「ここがね」とほぼ答えを教えている状態になることもあると思いますが、同じ大人でもコジ塾講師は違います。
生徒さんが「わかりません」と来たとき、
講師は「まず、問題を読んでみて。つぎは、本文を読んでみて」と口に出して読んでもらいます。
それだけで、生徒さんが「あっ!」と勝手に気づくことがほとんどです。
講師は何も説明しないか、問題をもう一度口にして「何が?はじまった?」と質問するだけ。
本当にそれだけでわかるのです。
つまり、生徒さんは読んでいるつもりだったけれど、文章を読みこめていなかった。
もしくは、本文と問題をつなげられるほど、集中できていなかっただけなのです。
これは、低学年の算数の文章問題でもよくあります。
すでにたし算とひき算ができて、使い分けもできるのに、「わからない」と講師のところへ来て、同じように問題を口に出して読んでもらって「なに算?」と聞くだけで「あっ!」と席へ戻っていくという現象です。
文章を読むのは、だれかと会話をするよりも頭を使うし、時間もかかります。
だから、疲れるし、なるべくなら楽をしたいと脳は思うのでしょうね。
これは文章を理解する能力ではなく、忍耐力の問題です。
そこを解決するために、『自分でもう一度読んでもらい、考えてもらうこと』をうながすのが講師の手助けとして1番重要だと考えています。
何度もやっているうちに、生徒さんが自分で読んで、自分で答えていることに気づいて、質問の前にその方法を試してみようと思えたり、脳が楽をしようとしても(どうせ、自分で読まないと答えは教えてはもらえないしなぁ)とブレーキをかけてちゃんと読むことで読解行為に慣れていったりするのが狙いです。
最も避けたいのは、「わかりません」と生徒さんが来るたびに、教える側が口にして読んで答えに誘導していき、そのチャンスを奪うこと。
学年が上がるにつれて、どんどん長く複雑な問題になっていきます。
「本当にちゃんと読んでる?」と聞くだけでは真実はわかりませんし、口に出して読んでもらっていては時間がかかって仕方がないという状態になっていきます。
高校入試や大学入試の国語・現文では違う手法で教える必要がありますが、その時に必要なこともやはり生徒さんの文章を読む力(忍耐力)です。
英語の長文も同じことですが、長い文章が出ただけで、もうイヤになって怖気づいてしまい、読むのが精いっぱいで内容が入ってこない状態はよくないので、早めに解消しておきたいですね。
筋トレと同じく、勉強の忍耐力も1度やったらすぐに身に付くものではありません。
幼い頃から、簡単な文章から、読解行為に慣れて自然と忍耐力をつけていってほしいと思います。